批判する暇があるなら、批判される側になる努力をしなさい。

今週も休日返上で、校長講話の感想文に目を通してコメントを書いておりますが、特に今回はリアクションが大きい!

私の友人で、ゲイバーのママ「りょうちゃん」を招いての回だったのですが、生徒たちには深く刺さった様です。

この講話の内容は後日お伝えすることにして・・・

多くの生徒が、趣味趣向が違う人、考えが違う人に対しての昨今のSNSでの批判について書いておりました。

私も人や組織に対し、批判をすることもありますし行動に起こすこともあります。

たぶん「批判」という行動は、人間誰しも持ちうる特徴なのかと思います。

ただそれが、相手の命まで脅かす下品な罵詈雑言を、顔も名前も出さずにやる卑劣な行いはしません。

先日酒宴の帰り道にタクシーに乗った時、運転手さんに「創成館の校長先生ですよね」と話しかけられました。

そうですよ。と言って雑談している中で、その運転手さんが聞いたことのある私の「噂話」をいくつかされました。

全て全く事実無根の、「それもう都市伝説レベルじゃん」という話しばかりでした。

中には、私のことが嫌いでそういう噂を流布しているのだろうと思われる話もありました。

この時、「批判する暇があるなら、批判される側になる努力をしなさい」という言葉を思い出しました。

私の父が、生前よく言っていた言葉です。

こんな事も父は言っていました。

何かをやるとどうしても目立つ。

そうすると、嫉妬とやっかみの対象となる。

いわれもない事を噂されたりする。

でも怒るな。

そんな時は、「これは自分は頑張っている証拠だ。こんな話は有名税だ」と、笑い飛ばしてやれ。

奥田修史からも生徒のみんなに、何回も言うぞ。

批判はSNSでするもんじゃない。堂々と顔と名前を出してやるもんだ。

そしてもし批判するなら、「相手の生きる権利」を奪わない言葉と理論でやりなさい。

相手にも君たちと同じように、家族や愛する人たちがいる。

そこまで想像して、責任を持って批判するなら批判しなさい。

ただ言っておくよ。

「批判する暇があるなら、批判される側になる努力をしなさい」